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体験談

便利屋をはじめると人生が変わるのか? 貧乏人フリーターから月収100万円越え体験談

投稿日:2020年3月26日 更新日:


稚拙な文章ですが、恥を忍んで書きました。
参考にしていただけると幸いです。

便利屋をはじめると人生が変わるのは本当なのか?

便利屋の開業本や体験記などを読むと、共通点がみつかります。
それは「便利屋をはじめると人生が変わる」と主張している点です。

「はぁ?便利屋をはじめただけで人生が変わるわけないだろう」

確かに、便利屋をはじめただけでそう人生が変わるわけではありません。

映画やドラマの主人公のような変化がある確率は低いです。
考えれば当然ですね。

ただ、脱サラした人ならば、環境の変化を考慮するのであれば
「人生が変わる」と表現してもおかしくはないでしょう。

変化があまりない日常を送っていた私の場合においてさえ、
変化が見られました。

だから断言できます。

きっとあなたも、大きなふり幅はないけれど、
確実に変化はあらわれます。

起業(便利屋開業)すればすこしだけでも人生が変わるのは本当です。

年収60万以下。フリーターから出発した私の場合

参考例として私の体験を話させていただきます。

私は便利屋を開業(起業)する前はフリーターでした。
それも短時間バイトです。

もともと身体が弱く、長年とある病気を抱えていたので
長時間のバイトをするのは難しいという状態でした。

さらに普通免許もなく学歴も大学中退です。

母子家庭で、実家は貧乏。おまけに一族も貧乏。

元父が原因の借金があり、私が生まれてから
借金がない状態であったためしがない家庭でした。

自分の話をすると「大変だねぇ」と言われますが、
私は実感できなかったのです。

ずっと貧乏でこの環境で生きてきたので、日常でしたから。

もう20代半で、実家住まい。

普通免許もないのでできる仕事は限られ、
普通免許をとるお金もない。

これといった資格もない。

そんなときに何かしようと探しだしたのが便利屋です。
ただ、徒手空拳で便利屋をはじめるのは自殺行為に等しい。

ネット黎明期にならいざしらず、本当の意味での徒手空拳から
便利屋をはじめる人は見当たりません。

最初は本を買うお金もないので、ネットで便利屋関係のウェブサイトを
めぐっていましたが、私のような状態から便利屋をはじめた人は
見当たらない。すがるべきモデルケースがなかったのですね。

それに、「チラシを配れば、もの珍しさから電話がすぐになった」
「ホームページをつくったらすぐに問い合わせがあった」
「ネットに広告を出せばすぐに依頼が来た」
という時代はとうに過ぎ去っていました。

失礼かもしれませんが、当時のベテラン便利屋が
発信している情報はほとんど役に立たないものばかり。

ある程度の社会経験や実績がある段階から便利屋をはじめた方や、
時代の波に乗っていた人たちばかりが
情報を発信していたのが理由です。

「どん底まで落ちた。けれど便利屋で再起を果たした」人たちは確かにいます。
ですが、前歴が輝かしい方ばかり。

いっぽう、私は何もありません。

自分とまったくおなじ状況から出発した先行者がいない。

これが私が便利屋開業に二の足を踏んでいたひとつの理由でした。

このまま短時間バイトを続けても未来は暗い

心境的な転換があったのはバイトがきっかけです。

当時、私がしていたバイトは清掃仕事。

短時間仕事なので、パートのおばちゃんが幅を利かしていました。

当初は、私が一番作業が遅く、迷惑をかけていたのです。
ですが、工夫をして一番になりました。

自分がしなくてもよい仕事ができるほど余裕ができるほどになったのです。

ベテランパートさんを追い抜き、仕事も一定の評価をされた。

しかし、立場は低いまま。

さらに、仕事ができても一部のパートさんたちからは
舐められていました。

それは「家庭を持っていなかったから」。

バイト先では仕事ぶりは問わずに、
子育てをしているパートさんが立場が上だったのです。

「いい年の男なのに家庭を持っていない」
それだけで舐められる環境でした。

また、バイト先でトラブルがあったときは
パートさんの言い分が通ります。

論理がおかしくても、です。

上司(現場責任者)もパートさん(女性)たちの論理がおかしくても、
納得するしかありません。

パートさんたちが主力なので、敵にまわしたら仕事に支障がでます。

なので、上司はひとりを悪者にして場をおさめるという方式を採用しました。
まったくの無能。

「あ、これはだめだ」

そう理解した私は思い切って便利屋をはじめました。

いままでどうしようか二の足を踏んでいたのに。

便利屋をはじめてはみたものの、何が何やらわからず
時間が過ぎていくばかり。

この段階でかなりの時間を消費しました。
当時はこれといった便利屋の教材は存在しなかったためです。

便利屋開業本も精神面が強調されている本ばかり。

なので、試行錯誤するしかありません。

そうこうしているうちに1年経ちました。

記憶がおぼろげですが、依頼件数は数か月から半年に1件程度。

便利屋をはじめてから最初に問い合わせをいただいたのは半年を過ぎてから。

目も当てられない状況。

ただ、ここから変化が起こりはじめます。

いきなりの取材依頼

便利屋開業から1年ほど経った頃。

ある日、電話が鳴りました。

受話器をとったのは母です。
母も病弱で働けない身体でした。

その母が私の名をいきなり大声で呼びました。

当時、ほぼニート状態であった私には電話をかけてくる
相手といったら行政機関しかありません。

奨学金関係か、年金関係か。

母の元に駆け付けると「何をしたの!」と言いながら
私に受話器を渡してきます。

電話に出てみると相手はフジテレビ。
※フジテレビ本局ではなく、下請けの制作会社だったのかもしれません

「取材をさせてほしい欲しい」とのことでした。

実は、私は家族に黙って便利屋活動をしていたのです。

そのなかで、当時においてはほとんど認知されていない仕事を
便利屋のいちサービスとして展開していました。

いま流行っている退職代行と同じく、倫理的に問題があり、
一部の職業に就いている人は立場上、絶対に認めては
いけないという尖ったサービスです。

もし、取材されたとしてもどのように取り扱われるのか
わかりません。下手に露出が増えればどう転ぶかわからない。

知る人ぞ知るサービスからこそ、上手く行っている面も
たしかにあったのですから。

そのため、取材は断りました。

母に対しても上手くごまかせたのですが、
心臓がバクバクしていたのをおぼえています。

便利屋をしていれば取材の申し入れなんていくらでも
来るのですが、なにせ初めての経験です。

その後、TBS・日テレ・テレビ東京・再度フジテレビから
取材の申し入れがあったのです。

同一の局でも番組単位で申し入れが来ました。

これは一度くらいは取材をさせないと落ち着かないかも?
そうおもって取材を1回受け付けました。

この取材については権利上の問題があるので伏せさせていただきます。

全国紙に掲載

騒動があってから、また1年後ほど。
別のサービスに関して取材の問い合わせが届きました。

今度はテレビ局ではなく全国紙からのお誘い。

まだ、世間に浸透していないとあるサービスの
専門家として取材させて欲しいとの要望でした。

いかに珍しい仕事をしているとは言え、
全国紙から取材の申し入れが来るはずがない。

法人ならともかく、こちらは個人です。

「あ、これは取材商法だな」

そう感じたので雑誌名で検索してみると、
数十年の歴史がある会社と判明。

「たぶん、取材に応じても流れるな。けれどこれも経験だ」
そう考えて、取材を受け入れることにしました。

私の考えでは掲載される企画段階のひとつ。
ほかにネタがあれば流れる(掲載されない)。

そう見極めていたつもり。

ですが、結果的に、すんなりと紙面が掲載。
拍子抜けしました。

なお、期待していた受注数は変わらず。
やっぱりテレビのほうが効果がありましたね。

集客については効果はなくとも、実感は湧いてきます。

近くの書店によって、雑誌を読んでみると
自分の立ち上げたウェブサイトと
自分の名前が確認できたのです。

正直言って、申し訳ない気分になりました。

なぜなら、当時も実家住まい。

短時間バイトから脱していないフリーターの身分です。

それなのに偉そうに専門家ぶって講釈を垂れているのですから。

そうです。
取材履歴がある便利屋だからといって、儲かっているわけではないのですね。

ただ、そのあとは前年に比べて順調でした。

これといった社会経験も指導者(メンター)もいないので
しなくても良い苦労はいっぱいしましたが、
最高月収では百数十万を達成。

補足:ただし、そう現実は甘くありません。
虚弱体質もあり月収100万ベースは維持できませんでした

社会人経験も乏しい貧乏人から出発したという点を考慮すれば、
まぁまぁ、という感じです。

車もなく、元手も1、2万円程度でしたから。

ありがちな「実は支援者がいました」というオチもありません。
もともと技能を持っていたというパターンでもないです。

精神的に支えてくれる恩師やメンター・妻・恋人も一切いませんでした。

便利屋である程度、成功したことにより生活も変わりました。

三食をまともに食べられるようになり、
菓子類も買えるようになったのですから大きな変化です。

幼少期からずっと貧困生活だったので、
幸福度の基準値が低いのだと思われます。

現在では便利屋とはまったく異なる、
商売をしています。

便利屋とは性質が違う商売ですが、
便利屋をしていなければ知り得なかった商売ですね。

短期バイトはとっくの昔に辞めています。

もし、便利屋をはじめずにいたら生末は
中年フリーターだったかもしれません。

それもこれといったキャリアがない中年フリーターです。

一番大きい変化は自分で「稼ぐ」能力・感覚を身につけれたことでしょう。

以上は、実際の私の体験記です。

あくまで一例に過ぎませんが、便利屋をはじめると
人生においては大きな変化はなくとも、すくなからず影響がある点は
お分かりいただけたのではないでしょうか?

避けれる苦労は避けるべし

個人で便利屋をはじめる方は結構、両極端です。
最初からお金をかけるか、かけないか。

意固地になって、必要なものにお金をかけず、
便利屋業界から退場する方はめずらしくありません。

便利屋を運営している人はおわかりのとおり、
ケチな人ほどまっさきに消えていきます。

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